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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1460号 判決

控訴人 井川秀子

控訴人 豊田照子

右控訴人両名訴訟代理人弁護士 山田謙治

角田義一

被控訴人 板井玲一

右訴訟代理人弁護士 横川紀良

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求をいずれも棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は主文第一、二項同旨の判決を求めた。

《以下事実省略》

理由

(賃貸借の成立と契約解除の意思表示)

被控訴人が昭和三一年一〇月一日控訴人井川に対し、本件土地を建物所有の目的で賃貸し、控訴人井川が本件土地上に本件建物を所有していること、本件土地の昭和四九年七月一日以降の賃料が月額金一万二〇〇〇円であること、被控訴人が昭和五〇年六月二〇日控訴人井川に到達した書面で、昭和四九年七月一日以降昭和五〇年五月末日まで一一か月分の賃料合計金一三万二〇〇〇円を右書面到達の日から一週間以内に支払うべき旨催告するとともに、右期間内に右賃料を支払わないときは本件土地賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたこと、本件土地が現に被控訴人の所有であり、控訴人豊田が本件建物に居住し、本件土地を占有していることは、いずれも当事者間に争いがない。

(賃料支払義務の履行遅滞)

1  前記争いのない事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

一  被控訴人が控訴人井川に本件土地を賃貸するにあたり、賃料は毎月二八日限り当月分を被控訴人方に持参して支払う旨記載した契約書を取り交わしたが、控訴人井川は、最初の一年間位は、右約定に従って賃料を支払ってきたが、その後、次第に賃料の支払を遅滞するようになった。その実情は、賃料の支払が一か月ないし三か月位遅滞し、かつ、それが繰り返えされるという状態であり、このような状態は、控訴人井川が昭和三四年に結婚のため家を出、同控訴人の兄で、賃貸借の保証人にもなっていた豊田勝之助が同控訴人のため本件建物の管理及び本件土地の賃料の支払を担当するようになってからも、さらにその後、昭和四一年四月末ころ、同控訴人の姉である控訴人豊田が本件建物に入居し、控訴人井川を代理して右事務を処理するようになってからも、変わらなかった。このため、すくなくとも昭和四一年四、五月ころ以降、被控訴人はやむなく控訴人豊田方に賃料の取立に赴くようになり、右の方法による支払は、被控訴人が加入している定期積立金の集金の時期に合わせて、翌月の四、五日ころにされるのを常としていた。そして、取立は被控訴人の妻が行うことが多かった。

二  その後、被控訴人は控訴人豊田との間で本件土地の賃料の増額を交渉したが、協議が調わなかったため、昭和四九年六月中、控訴人井川及び前記豊田勝之助両名を相手どって前橋地方裁判所に対し、昭和四九年七月分以降の賃料の増額請求訴訟を提起した。昭和五〇年五月一四日、同裁判所は、昭和四九年七月分以降の賃料は月額金一万二〇〇〇円が相当であると認め、控訴人井川らに対し、毎月二八日限り右賃料を支払うべき旨の判決を言い渡し、右判決は昭和五〇年六月二日の経過により確定した。しかし、昭和四九年七月分以降の賃料について、被控訴人は控訴人豊田方にその取立に赴くことをせず、他方、控訴人豊田も被控訴人に対しその弁済の提供すらしないまま推移し、(但し、昭和四九年七月分については、右賃料増額請求訴訟の係属中である昭和四九年八月一九日に従前の賃料額金四五〇〇円を供託した。右供託は、供託者たる控訴人井川において供託金の取戻権を行使したことが認められない限り、これによって当該賃料債権消滅の効果を生じたものというべきである。もっとも、右訴訟においては、控訴人井川らにおいて、右供託による債権消滅の事実を主張しなかったため、判決はこの点に触れていない。)、前記のとおり昭和五〇年六月二〇日被控訴人によって延滞賃料支払の催告がされたという経緯を辿った。

このように認められる。

《証拠判断省略》

2  右認定事実によれば、本件土地の賃料は、本来、毎月二八日限り当月分を被控訴人方に持参して支払う約定であり、賃借人である控訴人井川の代理人としての控訴人豊田は右約定に従って賃料の支払をすべきものであった。控訴人らは、本件土地の賃料は、毎月五日限り前月分を控訴人豊田方で支払うという取立払の約定であったと主張するが、前掲乙第一号証の賃料支払日及び支払場所の記載、成立に争いのない乙第二ないし第四号証の支払場所の記載は、控訴人らの言分をそのまま記載したものであって、客観的証拠の裏付けがあるわけでもないから、直ちに採って控訴人らの右主張を肯認する資料とし難く、また、《証拠省略》中右主張に添うような部分は信用できず、他に前記認定を覆えして控訴人らの右主張を認めうる証拠はない。

なるほど、本件賃貸借においては、当初の毎月二八日限り当月分の賃料持参払いの約定にもかかわらず、昭和四一年四、五月ころ以降被控訴人が毎月四、五日ころ控訴人豊田方に前月分の賃料の取立に赴いており、その期間は前記賃料増額請求訴訟が提起された昭和四九年六月ころまでで約八年間に及んでいること前記のとおりであるが、被控訴人が賃料を取り立てるという方法に出たのは、控訴人豊田の慢性的な賃料支払の遅滞に対処し、なんとしても債権の満足を図るために、やむなくしたことであるから、賃料取立という事実上の状態が長期間継続したからといって、直ちに被控訴人が賃料の弁済期を翌月五日、弁済場所を控訴人豊田方に変更する意思であったと推測し、賃料の弁済期及び弁済場所に関する当初の約定が黙示的に変更されたものと解さなければならないものではないというべきである。前記のような事実上の状態が継続した後に係属した賃料増額請求訴訟において、控訴人井川が賃料の弁済期は毎月二八日であるとした被控訴人の主張を認めて争わなかったことも、右の解釈の一端を支えるものということができる。

それ故、控訴人井川は、被控訴人の催告にかかる昭和四九年七月一日以降昭和五〇年五月末日まで一一か月分の賃料合計金一三万二〇〇〇円のうち前記供託にかかる昭和四九年七月分の一部金四五〇〇円を控除した残額金一二万七五〇〇円の弁済期を徒過することによって履行遅滞に陥ったものというべく、賃料が取立払の約定であったことを前提として、控訴人井川に履行遅滞の責任がないとする控訴人らの主張は失当である。

なお、被控訴人がした前記催告はそれ以前に控訴人側がした前記供託金額四五〇〇円を含めて支払を求めているものであるが、催告金額(金一三万二〇〇〇円)が客観的債務額(金一二万七五〇〇円)に比して甚しく過大であるとはいえないから、右催告を過大催告として無効としなければならないものではない。

(催告期間内における弁済の提供の有無)

控訴人らは、控訴人豊田が昭和五〇年六月二五、六日ころ延滞賃料として催告された金一三万二〇〇〇円を被控訴人方に持参したが、被控訴人が不在であったため、支払をすることができなかった旨主張する。

当審における控訴人豊田照子本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第六号証と原審及び当審における同控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人豊田は、被控訴人から控訴人井川に対し前記催告がされた直後、控訴人井川から、電話で、右催告(金額及び催告期間とも)及び不払を停止条件とする契約解除の意思表示があったことを告げられ、催告金額の支払方を依頼されたので、昭和五〇年六月二五、六日ころの午後三時ころ、現金一三万二〇〇〇円を携帯して被控訴人方に赴いたが、留守であったので、支払うことができなかったことが認められる。

前掲乙第六号証には、控訴人豊田が被控訴人方に行った日時は昭和五〇年六月二七日であるとの記載が存するが、控訴人らは、原審において、右日時を六月二五、六日ころと主張し(昭和五〇年一二月一日付準備書面第一項)、右は当該事実に比較的接近した時期に、控訴人豊田の割合に新鮮な記憶に基づいて主張されたものであって、正確性を有するものであると認められること並びに当審においても右主張がそのまま維持されていることに徴し、乙第六号証の前示記載部分は採用することができず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、債務者の住所に持参して支払うべき金銭債務につき債務者が弁済のため現実にすべき提供の仕方は、金銭を携帯して債権者の住所に行き、債権者に対し受領を催告するのが一般であり、債権者の住所に行ったが、債権者方全員が留守である場合は、債権者の指定した催告期間の関係上債務者において再度の提供をする時間的余裕が全然ないときは格別、そうでないときは、債権者方の不在の期間、理由のいかんによっては、債務者の再度の提供を必要とするものと解するのが相当である。本件において、被控訴人の支払催告は、それが控訴人井川のもとに到達した日から一週間以内の期間(最終期限は昭和五〇年六月二七日)を指定したものであったから、控訴人豊田において再度の提供をする時間的余裕がなかったとはいえないものであり、しかも、《証拠省略》によれば、被控訴人方は、被控訴人が会社に勤務し、妻が家事をとりしきっている普通の家庭であり、被控訴人の妻は子どもの学校のP・T・Aの事務とか友人との交際のため、時々外出する以外は在宅していること、被控訴人方には電話が設置されていること、昭和五〇年六月下旬当時被控訴人の出勤、妻の一時的外出以外に被控訴人方家人の長期不在の事実はなかったことが認められるから、同月二五、六日当時、被控訴人方では、すくなくとも夜間は、家人が在宅していたことがほぼ確実であり、したがって、控訴人豊田が電話で被控訴人方家人の在宅を確認して、昼夜いずれにせよ、延滞賃料の現実の提供をすることは、さきでの労力、負担を要することなくして十分に可能であったものと認められる。以上の事実関係のもとにおいては、控訴人豊田は催告期間内に再度の提供をするべきものであったものというべきであり、これをしなかった以上、賃料支払義務の懈怠による本件土地賃貸借契約解除権の発生を妨げることはできないものといわなければならない。

(賃料不払と信頼関係破壊の有無)

控訴人らは、控訴人井川の本件土地の賃料不払は賃貸借における信頼関係を破壊するに至らないものであると主張する。

1  しかし、控訴人井川の賃料不払は昭和四九年七月一日から昭和五〇年五月末日まで一一か月分の賃料(但し、昭和四九年七月分の一部金四五〇〇円を除く。)の支払を怠ったものであって、その客観的態様において決して軽微な債務不履行とはいえないのである。右賃料はその増額の許否が訴訟で争われていたものではあったが、このような場合においても、賃借人が従前の額の賃料支払義務の履行を遷延させてよいわけではなく、もし従前の賃料が相当であると認めるときは、賃貸人に対し当該賃料額を支払えば足るのである(借地法第一二条第二項)。しかるに、《証拠省略》によれば、控訴人井川は前記賃料増額請求訴訟の係属中ただ一回従前の賃料額による昭和四九年五、六、七月の三か月分の賃料の供託をしたことが認められるのみで、その後の賃料の供託等をした形跡は全く認められないのであるから、賃料額について右のように係争中であったという事情は、なんら控訴人側の債務不履行に対する法的非難を弱めるものではない。

2  本件における問題の中心は、弁済期の点は一応措き、賃料の弁済場所が事実上控訴人豊田方であるとして処理されること長年に及んだため、控訴人豊田が賃料は被控訴人側で取立にきてくれるものと考えていたことにある(同控訴人がそのように考えていたことは原審における同控訴人本人尋問の結果によって認められる。)。しかし、控訴人豊田としては、被控訴人が前記賃料増額請求訴訟の終了後従来の慣行によれば当然来るであろうと予想される時期に賃料取立に来なかった段階においては、当然に被控訴人が賃料の取立にくるようになったのはもともと自己の賃料の慢性的な支払遅滞に基因するものであって、本来契約で定めたところは持参払であることに思いを致し、安易に従来の慣行に依存することなく、本来の約旨に従った行動に出るべきであったのであり、ことに右賃料増額請求訴訟係属の間逐次履行期に達していた延滞賃料については、被控訴人から要求されるまでもなく速かに積極的にこれを支払う意思を示し、これを実行に移すべきが当然であり、これをしなかったことを正当視できる理由は見出せない。

3  さらに、控訴人井川が被控訴人から延滞賃料の支払催告を受けた後における控訴人豊田の対応の仕方をみるのに、《証拠省略》によれば、控訴人豊田は控訴人井川により右催告のあったことを聞き、被控訴人方に一、二度電話連絡し(そのときは被控訴人方が不在で電話が通じなかったという。)、また、たまたま街で出会った横川紀良弁護士(前記賃料増額請求訴訟の被控訴人の訴訟代理人であった。)に賃料の支払方法を質したところ、本人に支払ってもらいたいといわれ、その翌日前記のとおり催告金額を携帯して被控訴人方に出向いたことが認められ、これによれば、控訴人豊田がいちおう延滞賃料の支払をする意思を有し、これを実行しようとしたことは看取できるのであるが、同控訴人は、折角延滞賃料を被控訴人方に持参しようという態度決定をして、一旦はこれを携帯して被控訴人方に行きながら、被控訴人方が不在であったということで、それ以上なんらの措置をとることなくそのまま支払の実行を放置してしまったのであり、これは賃貸借契約における最も基本的な賃借人の義務である賃料の支払について賃借人のとるべき態度としては誠意を欠くものとの評価をまぬがれず、ましていわんや支払催告とともに不払を停止条件とする契約解除の意思表示すら受けた賃借人の代理人がする対処の仕方としては、はなはだ当を得ていないものといわざるをえない。

4  他方、賃貸人である被控訴人についてみるのに、被控訴人と控訴人との間に賃料増額をめぐる紛争が継続し、それが訴訟を経て漸く終始符を打った段階において、被控訴人が従来控訴人側の賃料支払がはかばかしくないためやむをえずとっていた賃料取立のやり方をやめて、本来の約定による持参払を要求することに態度を変更したとしても、それ自体はなんら咎められるべきこととはいえない。もっとも、長年の慣行を変更するについては一言その旨を相手方に告知するのが妥当であると考えられるけれども、このような明示の告知がなされなくても被控訴人において当初の約定に立ち帰って賃料の持参払を要求する態度に出ているものであることは控訴人豊田において前後の事情からこれを推知しうべかりしものということができるから、明示の告知がされなかったとの一事から控訴人らのとった措置を是認することはできない。

5  叙上の諸点をあわせ考えると、控訴人側の賃料不払は賃貸借における信頼関係を破壊するに至っていないとはとうていいいえない。

それ故、本件土地賃貸借契約は昭和五〇年六月二七日の経過とともに解除されたものというべきである。

(結論)

以上の次第であるから、控訴人井川に対し、賃貸借契約の終了を理由として本件建物の収去及び本件土地の明渡並びに契約終了の日の翌日である昭和五〇年六月二八日から本件土地明渡ずみまで一か月金一万二〇〇〇円の割合による賃料相当額の損害金の支払を求め、控訴人豊田に対し本件土地所有権に基づき本件建物からの退去及び本件土地の明渡を求める被控訴人の本訴請求はいずれも正当として認容すべきであり、これと同趣旨に出た原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 蕪山厳 高木積夫)

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